スタジオジブリの映画作品『思い出のマーニー』は2014年に公開されたアニメーション映画で、『借りぐらしのアリエッティ』に続く米林宏昌監督による長編映画作品です。何度かテレビで再放送もされているので「思い出のマーニー」を観たことがある人も多いのではないでしょうか。
かく言う僕もジブリ映画の中では一番好きな作品なのですが、マーニーのとあるセリフがとても気になったのでそこに焦点を当てて『思い出のマーニー』を考察していきます。
以下、『思い出のマーニー』ネタバレを含みますので、まだ映画をご覧になっていない方はご注意ください。
映画『思い出のマーニー』のあらすじ
海辺の村の誰も住んでいない湿っ地屋敷。
心を閉ざした少女・杏奈の前に現れたのは、青い窓に閉じ込められた金髪の少女・マーニーだった。
杏奈の身に次々と起こる不思議な出来事。時を超えた舞踏会。告白の森。崖の上のサイロの夜。
ふたりの少女のひと夏の思い出が結ばれるとき、杏奈は思いがけない“まるごとの愛”に包まれていく
(映画『思い出のマーニー』公式サイトより
参照URL:https://www.ghibli.jp/marnie/story/index.html)
作中の気になるセリフ
僕が気になったセリフはマーニーと杏奈の別れの場面。
杏奈「マーニー!どうして私を置いて行ってしまったの?どうして私を裏切ったの?」
マーニー「だってあのとき、あなたはあそこにはいなかったんだもの」
マーニー「もうここから居なくならなくてはいけない。あなたにさよならしなくてはいけないの。だからね、杏奈お願い。許してくれるって言って!」
このやり取り、みなさんはどう思うでしょうか。実は僕は最初、マーニーは亡くなった杏奈のお母さんだと思っていたので、この場面で号泣しました。お母さんが一人残した娘に謝罪をする、なんて感動的な場面だと。しかし、マーニーは杏奈のおばあさんであることが映画の終盤で明かされます。先ほどの場面は感動的な場面とは全く違うようで、もちろん涙は引っ込みました。その代わりに一つの疑問が湧いてきました。それは、
「許してくれるって言って」ってなんだ!?
という疑問です。事故で亡くなったお母さんであれば、許してほしい思いはあるけどそれを直接伝えられない・・・そんな気持ちを表現していると思っていました。しかし、マーニーおばあさんであれば話は変わってきます。
言葉の意味を考える
僕が気になったのはこの「許してくれるって言って」という言い方です。ただ許してほしいのであれば「私を許して」と言えばいいのに、マーニーはあえて回りくどい言い方をしています。僕にはどうも許してほしい以外のニュアンスが含まれている気がしてなりません。
では「許してくれるって言って」という言葉はどういう解釈ができるでしょうか。
・杏奈に許してほしい
・杏奈に「許してくれる(許してあげる)」と言ってほしい
日本語の通りに受け取るならばこの2通りでしょうか。やはり杏奈に許してほしいと捉えるのが普通でしょうね。しかし、先ほども述べたように許してほしいのであれば「私を許して」と言えばいいのです。
杏奈に許してほしい訳ではないのなら、マーニーは杏奈に「許してくれる」と言ってほしかったということになります。では何を許してほしかったのでしょうか?
マーニーの世界を考える
マーニーが何を許してほしかったのかを考えるためには、まずマーニーについて知る必要がありそうです。つまり、杏奈が出会ったマーニーがいた世界はどういうものかということです。
結論から言えば、僕は『思い出のマーニー』の世界は過去の記憶の追体験だと考えています。
もう一度別れの場面を思い出してください。マーニーは杏奈にこう言っています。
「だってあのとき、あなたはあそこにはいなかったんだもの」
このセリフも不思議ですよね。サイロでの出来事があったあの夜、杏奈はマーニーとずっと一緒にいました。でも、マーニーは「あのとき、あなたはあそこにはいなかった」と言っているのです。
この言葉から、僕はこの不思議な体験を過去の記憶の追体験だと考えました。サイロでのマーニーの言動や、別れの場面で杏奈に「あのとき、あなたはあそこにはいなかった」と言ったことを踏まえると、実際はあの夜サイロにはマーニーは一人でいて、杏奈はいなかった。そして、迎えに来たのは和彦だったと推測できます。
杏奈は何者?
さて、これでめでたしめでたしではありません。マーニーの世界が過去の追体験であろうというのは先ほどお伝えした通りですが、では杏奈は何者でしょうか?過去の追体験であれば杏奈が体験している人物も当然過去に実在しているはずです。
映画のマーニーと杏奈を振り返ってみます。ボートの漕ぎ方を教えてもらったり、一緒に遊んだり、パーティーで花売りとして踊ったり、マーニーへの募る思い、そして、「許してくれるって言って」というセリフ…
僕は、杏奈は花売りの男の子の記憶を追体験していたと考えています。
ここで「許してくれるって言って」という言葉を思い返してみましょう。マーニーが杏奈に許してほしい訳でないのであれば、実在した誰かに許してほしいのではないか。その気持ちを「許してくれるって言って」と言う言葉に込めたのではないか。僕はそう思うのです。
あの夜、サイロに助けに来てくれたのは花売りの男の子ではなく、和彦だったのです。マーニーは辛い時に支えてくれた和彦と一緒になることを選んだ。一方で、花売りの男の子とは離れ離れとなり、その後も会うことはなかった。だから、マーニーは別れのシーンの後には姿を見せなくなるのです。
もし、杏奈が久子や和彦の記憶を追体験したのであれば、マーニーの追体験はこの後も続くでしょうし、わざわざここで謝る理由はみつかりません。
杏奈の胸の高鳴りは本物だったのか、花売りの男の子の記憶の断片だったのか、それは僕にも分かりません。
最後にもう一つだけ
では、花売りの男の子は誰でしょうか。マーニーと会っていた時の杏奈は、ボートを漕ぎ、寡黙な男の子の記憶を追体験していました。加えて、マーニーを知っていて今はおじいさんであるいう特徴に合致する人物といえば、みなさんもお判りでしょう。
僕は十一が花売りであり、杏奈は昔の十一の記憶を追体験したのだと思うのです。
昔々、知られざる儚い恋の物語がここにはあったのではないでしょうか。タイトル『思い出のマーニー』は十一にとっての思い出のマーニーだったのかもしれません。
終わりに
いかがだったでしょうか。マーニーは物語の背景がとても深く映画の作中でもほとんど語られないので、多くの人が誤解している作品だと感じています。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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